厚生労働省および都道府県労働局は、国の雇用関係助成金制度における支給の適正性を保持するため、不正受給に関与した事業主および社会保険労務士(社労士)等の代理人情報を速やかに公表する制度を運用している。本来、社会保険労務士は法令遵守に基づき企業の労働環境整備を助言し、助成金の適正な申請手続きを指導すべき立場にある。しかしながら、一部の専門家が受給要件を満たすために法定帳簿や申請書類の改ざんを主導、あるいは関与する事案が全国で相次いでおり、助成金制度に対する社会的信頼を著しく損なう要因となっている。
静岡県富士市においても、労務管理や助成金申請代行を専門とする社会保険労務士法人の代表社員が、管内事業所の助成金申請において雇用契約書や賃金台帳を改ざんし、不正受給に関与していた事実が静岡労働局の公表によって明らかとなった。本レポートでは、富士市で発生した社会保険労務士の不正受給関与事案の具体的な経緯と構造的背景を解明するとともに、静岡県内の他地域で発生した公表事例との比較、不正発生のメカニズム、法的処分および企業・業界に及ぶ影響について総合的に分析する。
静岡県富士市における社会保険労務士法人による不正受給関与の概要
静岡労働局職業安定部職業対策課(助成金センター)が取りまとめた公表資料によると、静岡県富士市に拠点を置く「社会保険労務士法人 Stylish Management」の代表社員である熊谷健太郎社会保険労務士が、管内事業所の助成金不正受給に関与したとして公表対象となった。同法人はクラウドシステムやITを活用した労務効率化および助成金活用提案を強みとして事業を展開していたが、助成金審査の過程で提出書類の重大な偽装が判明した。
不正の対象となった制度は、有期雇用労働者等の正規雇用への転換を支援する「キャリアアップ助成金(正社員化コース)」である。静岡労働局管内の事業所1社にかかる支給申請において、本来は支給要件を満たしていないにもかかわらず、雇用契約書および賃金台帳の記載内容や金額を改ざんし、要件を満たしているかのように装った虚偽の申請書類を作成・提出したとされる。関与した不正受給額は570,000円であり、令和8年8月3日の労働局公表時点において未返還の状況にある。
静岡県内においては、富士市の事案のみならず、静岡市、掛川市、浜松市など各地で社会保険労務士が関与した助成金不正受給事案が相次いで摘発・公表されている。以下の比較表は、静岡労働局により公表された県内の主な社会保険労務士関与事案を一覧化したものである。
| 所在地 | 社会保険労務士・事務所名 | 対象助成金 | 不正関与の態様・改ざん対象 | 受給額・返還状況 | 労働局公表時期 |
| 静岡県富士市 | 熊谷 健太郎 (社労士法人 Stylish Management) | キャリアアップ助成金 (正社員化コース) | 雇用契約書および賃金台帳の改ざんによる虚偽申請 | 570,000円 (未返還) | 令和8年8月3日 |
| 静岡県静岡市葵区 | 鈴木 浩正 (鈴木浩正事務所) | キャリアアップ助成金 (正社員化コース) | 就業規則、労働条件通知書、雇用契約書、賃金台帳の改ざん(未然防止案件含む複数件) | 合計867万円超 (一部返還済・一部納付計画作成中) | 令和8年2月〜8月 |
| 神奈川県横浜市 (旧・静岡県掛川市) | 藤田 秀雄 (藤田社会保険労務士事務所) | キャリアアップ助成金 (正社員化コース) | 賃金台帳の金額改ざんによる虚偽申請書類の作成・提出 | 9,120,000円 (全額返還済) | 令和7年8月8日 |
| 静岡県浜松市中央区 | 遠藤 幾代 (遠藤労務管理事務所) | 雇用調整助成金 | 訓練を実施していないと認識しながら虚偽申請書類を作成 | 1,338,720円 (全額返還済) | 令和5年10月16日 |
この比較から明らかなように、近年の静岡県内における事案では「キャリアアップ助成金(正社員化コース)」を標的とした就業規則や賃金台帳の書き換えが突出しており、富士市の事案もこうした県内全域に広がる構造的不正と同質の手口であることが確認できる。
助成金不正受給の発生構造と改ざんのメカニズム
雇用関係助成金の中でも特に「キャリアアップ助成金(正社員化コース)」において文書改ざんが多発する背景には、制度上の厳しい受給要件と、申請代行を請け負う専門家の営業構造が複雑に絡み合っている。正社員化コースでは、有期雇用労働者を正規雇用に転換するにあたり、転換後6か月間の賃金を転換前6か月と比較して一定割合(原則3%以上)増額して支払うことが必須要件とされている。また、転換手続きの前に適正な就業規則や改訂規程が労働基準監督署へ届け出られていなければならない。
実際の申請業務においては、事前に適切な賃金増額が行われていなかったり、就業規則の改訂時期が転換日より後になっていたりと、事後的に要件を満たしていないことが発覚するケースが少なくない。支給申請の期限が迫る中、不支給を回避して受給実績を作るために、過去に遡って雇用契約書を再作成したり、賃金台帳の実績数値を上乗せして書き換えたりする不正行為へと足を踏み入れるメカニズムが存在する。
専門家が不正に関与する背景にある第2次・第3次の要因として、助成金代行業界における「完全成功報酬型」の報酬体系が挙げられる。受給額の15%から30%程度を成功報酬として設定するビジネスモデルでは、不支給となった場合に代行業務にかかった人件費や手数がすべて赤字となるため、軽微な数値不足や不整合を書類改ざんで力ずくで補おうとする歪んだ動機が働きやすい。
さらに、近年の行政側の審査・監査体制の高度化が不正の摘発率を高めている。コロナ禍における雇用調整助成金の特例支給等を経て、厚生労働省および各都道府県労働局は不正検知システムや実地調査体制を急速に強化した。労働局助成金センターでは、提出された賃金台帳や雇用契約書の筆跡、インクの経年劣化、電子データのタイムスタンプ、雇用保険・社会保険の加入履歴との整合性をデータベース上で厳密にクロスチェックする体制を整えている。かつては審査をすり抜けていたような杜撰な偽装や日付の矛盾が、現在では「未然防止」あるいは支給後の追跡監査によって確実に検知される環境へと変化している。
法的ペナルティと社会的・経営的リスクの連鎖
助成金の不正受給に関与した社会保険労務士および申請事業主に対しては、行政上の回収措置、国家資格者に対する厳しい懲戒処分、さらには刑事罰に至る多角的な法的制裁が課される。
行政上の措置として、不正受給が認定された場合、受給した助成金本則の全額返還が命じられるとともに、不正受給額の20%に相当する違約金、および年3%程度の延滞金が加算される。また、不正発生の決定日から原則として3年間は、あらゆる雇用関係助成金の新規申請および支給受け取りが全面的に停止される。加えて、厚生労働省および各都道府県労働局の公式ウェブサイトにおいて、事業所名、代表者名、事案概要、ならびに関与した社会保険労務士の氏名および事務所名が半永久的に公表される。返還金の納付が完了しない場合、公表期間はさらに延長される規定となっている。
社会保険労務士法に基づく資格者処分の側面では、故意に真正の事実と異なる申請書類の作成・提出を行った社労士に対して、厚生労働大臣による懲戒処分が下される。処分区分には「戒告」、「1年以内の業務停止」、および資格を永久に剥奪する「失格処分」が存在する。過去の事例においても、業務停止処分期間中に裏で業務を継続した社労士が失格処分へと引き上げられたケースが報告されている。懲戒決定が下された場合は官報への公告が行われ、社会保険労務士としての社会的信用は完全に失墜する。改ざん行為が悪質かつ計画的であると判断された場合には、刑法第246条が定める「詐欺罪」として警察へ告発され、10年以下の懲役という刑事罰の対象となる。
事業主(クライアント企業)側に及ぶ二次的・三次的リスクも極めて甚大である。助成金申請の代行を社労士に一任していた場合であっても、助成金の受給主体はあくまで事業主であるため、不支給や返還の金銭的責任は事業主が連帯して負うことになる。税務面においても、不正受給した助成金の返還処理に伴い過年度の法人税修正申告が必要となり、税務当局による重点調査対象に指定される危険性が高まる。さらに、社名公表によってコンプライアンス違反企業としての情報が拡散することにより、主要取引先からの契約解除、金融機関からの融資引き揚げや引き締め、人材採用における応募者の激減など、事業継続そのものを揺るがす危機的状況へ追い込まれる。
業界の対応策と真の労務基盤構築への展望
社会保険労務士が主導または関与する助成金不正受給の多発を受け、業界団体である全国社会保険労務士会連合会は強い危機感を表明している。令和7年9月には、新聞報道等で社労士の関与や逮捕事例が報じられた事態を受けて連合会会長声明が公表され、国民に対する信頼回復と倫理規範の徹底が訴えられた。連合会は厚生労働省および各地の社会保険労務士会との連携を密にし、倫理研修の義務化や指導・処分制度の厳格化を推進するとともに、不正な助成金勧誘を行う業者への注意喚起を行っている。
富士市の事例に見られるようなトラブルや法的リスクを回避するため、企業側が専門家を選定する際には、単に「助成金の受給実績」や「成功報酬の安さ」のみを基準にするのではなく、法令遵守を最優先する姿勢を備えているかを厳しく見極める必要がある。信頼できる専門家の要件として、以下の要素が重要視される。
第一に、助成金受給ありきの提案ではなく、労働基準法や労働契約法に則った就業規則の作成、タイムカード等による正確な労働時間管理、適正な賃金計算といった労務管理の根幹を整備することを最優先する姿勢である。第二に、成功報酬のみを極端に強調せず、労務相談や手続き代行に対する適正な基本報酬体系を提示している点である。第三に、支給要件を満たさない事態が発生した際に、書類のバックデートや数値の改ざんといった違法な提案を断固として拒否し、正当な改善策を提示できる誠実性である。
富士市で起きた助成金不正受給関与事案は、特定の専門家による単一の不祥事にとどまらず、助成金申請ビジネスに潜む構造的リスクを浮き彫りにした。助成金は国民の税金や保険料によって賄われる公的制度であり、その適正な運用は労働環境の向上と産業の健全な発展に不可欠である。行政による監視の目が一層厳しくなる中、企業および社会保険労務士は目先の助成金獲得にとらわれることなく、透明性の高い労務コンプライアンス体制を構築することが強く求められている。
